「販売員を応援する」をテーマに、販売員時代の思い出や現役販売員へ向けたアドバイスを先輩たちに伺うこの企画。
今回は、国内外のファッションウィークを取材したり、ショップチャンネル限定ブランド「mieuxrie(ミューリエ)」をディレクションしたりと大活躍のファッションジャーナリスト、宮田理江さんが登場です。日本での「アナ スイ」人気の立役者となった宮田さんの販売員時代、ファッションジャーナリストへ転身したストーリーを伺いました。
宮田理江(みやたりえ)
多彩なメディアを通じて海外・国内コレクションのリポートや最新トレンドなどを発信するファッションジャーナリスト、ファッションディレクター。販売員時代に培った「売れる商品」「流行るトレンド」を感じ取る目利きの資質を発揮し、ディレクター、コンサルタントとしてのビジネスを拡大。著書に『おしゃれの近道』『もっとおしゃれの近道』(学研パブリッシング)がある。野菜好きが高じて、野菜ソムリエ(日本野菜ソムリエ協会)資格取得。「シティリビングweb」で「野菜×ファッション」を連載中。
fashion bible https://riemiyata.com/
―ジャーナリストの印象が強かったので、販売員から転身されたことを初めて聞いたときは驚きました。どういった経緯だったのでしょうか。
もともと、人と違うことをするのが好きなんです。だから、いまのように誰もが個人ブログを持てる時代になる前に、プライベートで個人のホームページを立ち上げて情報発信を始めたことがきっかけです。販売員時代にも、お客さまに情報を発信したくて、店頭で配るチラシを手書きで作っていたんですよ。
販売職を辞めてバイヤーやプレスの仕事をするようになった頃から個人ホームページで情報発信を始めて、それを見た編集者さんから記事を書くお仕事をいただくようになり、現在のファッションジャーナリストの仕事へつながっていきました。
―ブログ黎明期からネットで情報発信を続けてきた結果なんですね。ちなみに当時はどんな記事を書いていたのでしょう。
個人のホームページでは、セレクトショップの紹介や展示会の感想などファッションに関することから、アート展、映画、書籍の感想など、いろいろ書いていました。そうすると読者の方から「記事を読んでこの店に行ってきました!」「紹介していたアイテム、さっそくコーディネートに取り入れてみました」とメールを頂くようになり、お客さまと直に接することは少なくなっても、ファッション情報を届けることは、販売員時代と変わらないなと思いました。
困難な経験に鍛えられた 波乱万丈の販売員時代
―届けるものが服から情報へ変わっただけで、ファッションが好きなお客さまに届けるというところは共通点がありますね。そもそも、販売員になったきっかけは?
幼い頃からファッションやおしゃれすることが大好きで、自分の着る服は自分で選びたい子どもでした。学生時代も制服が苦手で、社会人になったら好きな服を着て働きたかったんです。