「販売員を応援する」をテーマに、いま業界で活躍する方々に自身の販売員時代の思い出や現役販売員に向けたアドバイスを伺いました。今回はテーマに合わせて、主宰である私の経験から、なぜ販売職を応援しようと思ったのかをまとめてみました。
主宰の苫米地です。来年4月でファッション業界歴30年になります。
栃木の文化服装学院連鎖校から、ロリータ系インディーズブランドで働くことが決まった頃の私は
「販売なんて下積みだしw」
と、本気で思っていました。それが今では販売員をリスペクトし、この販売職のクリエイティビティと尊さをもっと世間に広めなければならないと思っています。どうしてそうなったのか、少し経歴と共に書いてみます。
販売は下積みと思っていた頃
子供ころにマンガの影響でファッションデザイナーに憧れて、高校時代はアルバイト代のほとんどをあるブランドにつぎ込んでいました。地元の服飾専門学校に入り、テレ東で当時放送していた『ファッション通信』を欠かさず観ていては、ファッションショーにうっすら暗がりに見えるジャーナリストやバイヤーに憧れていたこともありました。
専門学校を卒業する頃、世の中はすっかり就職氷河期時代!学校に届く求人は販売員か縫製工場勤務くらいしかありません。しかし、学生ですからキラキラしたファッション業界に憧れていたので「地元はイヤだ!東京に行くんだ!」と息巻いていて、当時の最先端を行くファッション雑誌『Cutie』でインディーズブランド求人募集を見つけました。他にも好きなブランドにデザイン画を送ってみたりもしましたが、そのインディーズブランドで働くことに……。
勤務地はその年に開業したP’PARCOにオープンしたショップ。一見キラキラなファッション業界を想像しそうですが、所詮は超々零細のインディーズブランドなので、ほとんど店頭には一人。店を運営するための日々の最低限の業務以外は教えてもらうことはなく、接客教育なんてものはありませんでした。私の接客の知識は、高校から専門学校卒業まで働いたマクドナルドで培ったものしかありません(笑)。1年間の勤務期間で何度か遅刻をして店が開けられないという大失態もしたこともありました。
マクドナルドの接客知識だけでは売上も上げられず、結局1年ほどでその店は撤退することになりました。そして、撤退と同じくして退社し、アパレル企画会社へ転職しました。
別の視点から販売員と向き合う
本来、アパレル企画会社は業界歴が長いベテランがやるべき仕事なのですが、業界2年目で雇っていただき、今に繋がるいろんな仕事を教えてもらいました。そこでの経験が今のファッションライターの仕事へ繋がり、取材を通じて、改めて販売員、販売職と向き合うことになりました。そこで、いかに自分は販売員もどきであったことを思い知るのです。
取材にはその会社やブランドのイチオシ販売員が出てきます。お墨付きの販売員の話はいつも楽しく、接客という仕事に誇りを持っており、とてもオシャレでキラキラして見えました。そして何より、目の前のお客さまの要望と店頭にある商品をすり合わせ、その場の最適解を導き出すというスタイリスト的な存在であり、デザイナーとは違うクリエイティブさがある仕事だということが分かったのです。
スタイリングや商品知識はもちろんのこと、コミュニケーションスキルや質問力、行動心理、カラーコーディネートなど様々なスキルが販売員には必要で、お客さまのスタイリストという存在だけでなく、ある時はブランドの営業マン、またある時はブランドの広告塔という存在にもなれる。服を売るだけでは終わらない、とてもいろんな顔を持つ仕事なのです。
イマイチからプロフェッショナルへ
最近は目にしませんが、一時値は定期的に「販売員うざい」「販売員いらない」という言葉を目にしてきました。こういっちゃ悪いけど、そういう方はプロの販売員に出会ったことがなく、残念なお買い物体験しかしていないんだろうなと思います。とはいえ、お客様にそういう思いをさせてしまうイマイチな販売員も多いことも確かです。
取材などを通じて、2000人を超える販売員と接してきましたが、時にはまだイマイチだなと思う方にも出会うこともあります。その子にはまだ成長の余地があるということであって、販売職の奥深さ、クリエイティブな仕事であることは変わりません。
もう「販売員うざい」「販売員いらない」という言葉を聞きたくないし、書きたくありません。このFashion Communeでは、販売員を応援し、プロの販売員の凄さを伝える一方で、イマイチ販売員からプロ販売員へ成長してもらえる記事やコンテンツを発信していきます。
また、そういう販売員と出会いたい人との架け橋になるようなサイトを目指していきます。