コレクション期間に合わせて考えてみる。ということで
今回は2回目。
ちなみに1回目はこちら
ファッションはサブカルか? 語源編
https://fukugaku.jp/subculfashion01/
早速本題ですが
Wikipediaのサブカルチャーによると、こんな感じで歴史を解説してます。
日本における「サブカルチャー」
~ 略 ~
サブカルチャーという概念が日本に輸入されるのは1980年代になってから、しかも本来の社会学・民族学を離れてのことである。民俗学では柳田國男の「山の民」概念をきっかけとしたサンカ論が現代に至っているが、サブカルチャーの文脈に乗ることは無かった。1980年代に入ると、ニュー・アカデミズムが流行し、専門家以外の人間が学問領域、特に社会学や哲学、精神分析などの言葉を用い学際的に物事を語るようになった。サブカルチャーという言葉もこの頃日本に輸入され、既存の体制、価値観、伝統にあい対するものとして使われた。これらの流れは多くの若い知識人や学生を魅了し、「80年代サブカルチャーブーム」と呼ばれる流行を作り出した。この頃のサブカルチャーは現在よりも多くの領域を包含し、漫画、アニメ、コンピュータゲーム以外にも、SF、オカルト、ディスコ、クラブミュージック、ストリートファッション、アダルトビデオ、アングラなどもサブカルチャーと見なされていた。しかし、1980年代サブカルチャーに共通していえることはマイナーな趣味であったということであり、この段階で既に本来のサブカルチャーの持っていたエスニック・マイノリティという要素は失われていた。
~ 略 ~
研究者ではない当時の若者たちにとっては学術的な正確さよりも、サブカルチャーという言葉の持つ、差異化における「自分たちはその他大勢とは違う」というニュアンスこそが重要であったともいえる。
この頃のサブカルチャーは複数の要素を内包しつつも、ジャンル間に横の繋がりは未発達で、場合によっては複数の分野を掛け持ちすることはあったものの、基本的に愛好者たちは別々の集団を形成していた。しかし1990年代に入るとこの群雄割拠に転機が訪れる。メディアミックスの名の下に漫画、アニメといったジャンルの統合が進んだのである。漫画がアニメ化され、アニメが小説化されるという現象によってこれらのジャンルは急速に接近し、俗に「おたく文化」と呼ばれる、その他サブカルチャーから突出した同質性を持つ集団を形成するようになる。現在では、この「おたく文化」が、過半数を占めるかはさておいて、サブカルチャーの最大与党であり、サブカルチャーそのものという見方すらされている。
この記述にはストリートファッションがサブカルの1つに挙げられている。
ストリートファッションを取り上げたファッション誌として「CUTiE」が創刊されたのが89年のこと。
当時は「宝島の女子版」みたいな存在で、ファッションはもちろん音楽との親和性が高い内容だった。
誌面を見ると「東京にはこんな子がいるのか!」と驚かされされた(笑)
中途半端な田舎では「CUTiE」に登場するような子は街には少なく、当時はそういった服を売る店もなかった。
それが90年代に入るとそのストリートファッションが急速にトレンドの対象になっていった。
例えば「HYSTERIC GLAMOUR」や「MILK」「ALGONQUINS」他にも多々あるのだが、カジュアルだけど個性があるストリートファッションを軸としたマンションメーカーやインディーズブランドが大活躍していったのだ。
上記に挙げた3ブランドは今でもブランド展開しているし、他にも80年代後半から90年代に立ち上げたブランドは結構今でも現存しているのである。
サブカルの一種として見られていたストリートファッションがトレンドとなり、1つの主流として残っていく、というファッションシーンを身をもって経験してきた身としては、ファッションに強いこだわりを持ちすぎて個性的なスタイルを形成してしまう人たちはやはり「サブカル」なのだと思う。
それ以前のファッションの移り変わりを見ていると出てくる「〇〇族」なんて呼ばれた人々も、今思えばある意味サブカルなのではなかろうか。当時はそんな言葉があまり使われていなかっただけで…
現在コレクションの取材中で色んなブランドを見ているが、個性が強すぎて「これはどこに着て行けばいい?」というブランドもある。ただ、そういうブランドには確実なファンが存在しており、ファンの表情を見ているととても楽しそうで幸せそうで、それを見ているだけで私も何だか嬉しくなる。
もう、サブカルでいいじゃないか!
主流じゃなくてもいいじゃないか!
今、そんな気持ちです。